(´∀`∩くぽぁ記(´∀`∩

【FF11冬眠】腐女子の隠居生活【FF14引退】
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【震災】自己記録用5

地震のあと親父は川から水が消えてるなぁと思いつつも空港付近の職場へ。
地震からしばらくすると弟が残る家では停電のなか外から大津波警報の放送が鳴り響き、一度は弟も避難しようとパンとお茶と懐中電灯を持って車に乗ったが津波が来るのにわざわざ近づいて行った親父も、音信不通で帰って来なかった私も死んだと思われてて誰も帰って来ないのに一人だけ生き残るのもなぁと思って家に戻ったらしい。
結果的に家まで津波は来なくて、親父も職場駐車場にて目の前で車を流されたものの本人は二階に逃げて無事だった。
津波と言っても「流石にここまでは来ないだろう」と皆が思う場所まで来たのが今回の津波。
実際地震の被害で古い塀や壁が倒れたり瓦が落ちたりとかはあったけど家が潰れたりとかはなかったので人為的被害はそこまでじゃなかった。
ほっとんど津波。

本当にここまで来ないだろう的な地域まで来た。
親父もそう思って津波に近づいて行ったようだし。
SH3E0571.jpg
昨日母退院の帰りに流された車から車検証やら荷物やら取りに行くのに通れない道路を迂回しまくりながら現場へ探しに行ってみたら、駐車場だったせいか車の墓場のようだった。
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仙台空港付近の親父の会社は海岸から3キロ程の距離、それでも地震の1時間後くらいには低いながらも波が来たようで、親父がみた津波も最初は10㎝くらいだったとか。
それでもその10cmででかいタンクが流れてきて、「なんか流れてるよあはは~」とか呑気に喋ってるうちに駐車場の隣の川から濁流が一気に溢れ出してあっという間にその辺にあった車やトラックや積み荷を流し去ったらしい。
SH3E0596.jpg
重なりあってたりひっくり返ってたりまともな体制じゃない車が多い中うちのは上手く着地していた。
見つけた車はドアが開きづらくなっていて、車内も泥まみれで必要なものも探しずらかった。
SH3E0578.jpg
満タンに入れてたはずのガソリンも、バールのようなもので給油口がこじ開けられていたりして。
油不足の昨今しょうがないっちゃしょうがないけど生き残った二台に満タンだったガソリンを分けたかった。
油へるぷみー(≧ヘ≦)


しかし父も弟も無事で良かった。
地震の時に入院していた母なんかはワンセグで空港が津波に襲われて航空学校3階にいた人しか助からなかったって映像を見て、連絡も来ないしもう死んだと思って一人部屋じゃないのに夜中に声を上げて泣き出したり遺体を探しに行くってスリッパのまま脱走して看護師さんを困らせたりしていたようで。
入院先の方々には本当申し訳なかったです。
しかしこれで母も退院し地震から一週間、ようやく家族が揃った。
あれだけの出来事で命があって車一台程度で済んで幸運でした。

馴染みの場所や泊まったことのあるホテル、様々な場所が消えてしまった。
酷いところは町が丸ごと消えてしまったりと本当にたくさんの人が津波の被害にあった。
うちの親戚関係でも家が半壊した従兄弟宅、避難所で倒れ救急車で運ばれた祖母ちゃん、寝たきりで避難が間に合わないから自分を置いて逃げろと家ごと流されて死んだ親戚の婆ちゃん、一度無事が確認されたのに何かを取りに自宅へ戻って帰らぬ人となったはとこ。
他にもたくさんの、本当に本当に有り得ない数の人達が犠牲となった今回の津波。
ここまでは来ないだろうという場所まで到達し、普段から津波対策をしてる沿岸部さえも対応しきれない想定外の波の高さ。
それがこんなにも大きな被害を生んでしまったのだろうかと素人ながらに思います。
犠牲になった方々のご冥福をお祈りすると共に、今回の大津波を教訓とし生き残った者の責務として諦めずに復興していけたらなと思います。
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【震災】自己記録用4


叔父に家へ送って貰い、いるはずの弟はいなかったが爺婆が無事だった。
自分の部屋へ上がると脚のサイズに合わせ3.5×3.5㎝の震度7耐震マット4枚で押さえてた32型のテレビが落下していた。
耐震マットを脚のサイズで合わせたものの脚の数7つをケチって4枚しか貼ってなかったせいかorz
(後で確認したらケーブルを短くまとめてBOXにいれてたせいで周辺機器全てのケーブルが近くで纏まっていたため最初に落ちた一番手前にあったDVDレコーダーに配線で引っ張られて他のものも落ちたみたいでした)
しかし奇跡的に近くのリラックマ(1メートルちょいの特大サイズ)が先に落下して床とテレビの間で緩衝材代わりになりテレビは大丈夫だった。
同じく耐震マットでべったりくっつけていたモンステラのミニサイズガラス鉢植えは土台部分がしっかりくっついて落っこちなかったが、モンステラ本体が根っこごと抜け落ち鉢植えだけが残った。

元々99%宮城県沖地震が来ると言われていた地域なので割りと備えはあったつもり。
前に済んでいたアパートでも背の高い家具は全て天井に突っ張り棒で固定していたし。
引っ越しを機に腰より高い家具は全て処分しなるべく新しくも置かないようにし、それでも大き目の家具には全てふんばる君を設置して倒れないようにした。

本棚の上に置いてた冷蔵庫は落ちかけ斜めになっていて、霜取りしなきゃーと思ってた霜が全部溶けて本棚から落ちた本たちがまるで路上に打ち捨てられたエロ本のように水を含んでフニャフニャに。
そんなぐちゃぐちゃ部屋の中から乾電池式の携帯充電器を付けて地震後世話になりっぱなしの上司に電話。
地震の翌日で繋がりづらいものの掛ける側、受ける側のどちらかがDOCOMOだと繋がりやすい。
今回私がau相手がDOCOMOだったので携帯にすぐ繋がった。
震災時に助かる携帯会社は後でまとめる。
でも命に関わることだったしこれだけは今の内言いたい。
「SoftBankは糞!!」
分かってたことだけど本当役に立たなかった。
電話で家の無事と会ってないけど、一度は帰ってきたので家族全員の無事を伝えた。
備えつけの食器棚だったけどパカパカ開くからもう全部食器落ちて割れてるだろうと思ったら、扉に何者かが貼ったガムテープのおかげで最小限の被害で済んでいた。
ライフライン皆無で情報が全く入って来ないのでラジオをつけようと思ったらラジオも落下していて乾電池がドラゴンボール状態に散らばり、もうどこに行ったかも分からなくなっており探したがどうしても全部揃わないので諦めて携帯のワンセグをつけて情報を得た。

そこに見慣れた弟のワゴンRが到着し父&弟が帰ってきた。
二人の話によると地震のさい親父が食器棚を死守したあと余震にそなえガムテで扉をベタ張りした後、今日仕事どうすんのかな?と思って職場へ。
逆に弟は仕事前に友達とネカフェにいるときに被災。
呑気なな親父がこんな時でも仕事に行こうとするだろうから止める為に急いで戻って来たのにもういなかったという。
親父は親父でいつも通る一級河川がまるで干からびた様に水がなくなっていて、あれ?こんなになるほど晴れたっけ?みたいに思って職場へ迎ったという。
巨大な川から水が消えてるってモロ津波の前兆じゃん。
親父ェ‥‥。
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【震災】自己記録用3

ぼーっと外を眺めていたら門のところに母方の叔父の姿が。
毛布被って歩いて帰ろうとか、もし途中で橋が落ちて近づけなかったら近くの小学校に避難しようとか自力で帰ることしか頭になかったから一瞬だれだろうと思ってしまったのはヒミツ。
迎えに来た車の中で何故ここが分かったのか尋ねると、叔父が母入院先に連絡付けれた時に私がお世話になってるお家の電話番号を伝えられ迎えに行って欲しいと頼まれたらしい。
叔父も電話番号を元に役所で住所を調べ探しにきたと言う。

全員無事だった叔父の家に一時避難して電話を借り母病院に連絡しようとしたけどもう繋がらず。
夜の内にラジオで私が住んでいる町が半分浸水したとの情報で、自宅が一級河川付近だったこともあり、もしかしたら途中で橋が落ちて近づくこともできなかったらどうしようとも考えていたが、叔父から「橋が落ちたって話は聞かないし駄目そうなら戻ってこればいいから行くだけ行ってみよう」の提案で一時間もいない内にまた車へ。
外は最初信号が全部消えてるくらいで普段とあまり変わらないかな?と思ったら高台に上がった瞬間、有り得ないところまで水が来ていて背筋が凍った。
普段通勤で通ってる国道の目と鼻の先まで津波が来たようで水が引かず残っていた。
住宅とかは結構耐震しっかりしてるのか得に古そうな建物以外は外観何ともないように見えた。
古い建物だと瓦が落ちるという被害が一番多かった。
街を見渡しながら心配してた橋へ到着。
嬉しい事に橋は何ともなく杞憂に済んだ。
橋下をみると船が陸に上がってたりしたから津波の影響があることはあったみたいだけど川も広いし土手もあるし、なんとか橋下だけで収まったようだ。
一日ぶりに家に着いた。
津波が来たような痕跡はなく去年新築したおかげか外観には何ともないように見えた。
今年に入って事故で一台廃車になり、私も着の身着のままで避難せざるをえなかったので車は置いてきた。
それでも二台はあるはずの車が一台もない。
親父は仕事に行ってるとしても、母の携帯にきていたメールで無事なのが分かっていた夜勤の弟はいるはずなのに弟の車もない。
もしかして爺婆つれて車で避難したのかと思い玄関を開けると爺さんも婆さんもいた。
が、やはり二人だけで弟の姿がない。
すると婆さんから親父が津波で車を流され朝になって歩いて帰って来て、弟と一緒に安否の分からない私を探しに行ったと言う。
Oh、なんというすれ違い‥‥orz
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【震災】自己記録用2

余震の連発する夜。
泊めて頂いたお家で赤の他人の私のためにわざわざ割れ物の破片散乱してるとこ片して寝れるような場所を確保してくれたり、多分元々は人数分しか用意していなかったであろうカップ麺を断水・停電の中、貴重な水とカセットコンロのガスを使って分けて頂いた。
数えるくらいしか予備がなかった乾電池でラジオや懐中電灯をつけ、赤ちゃんもいたのでラジオから緊急地震予報のSEが聞こえる度全員で外に出たり。
停電で真っ暗闇の中常夜灯がわりにつけてた亀山ロウソク&ラジオの減りが想像以上に早い。
結構太いと思ったのにロウソク一本2~3時時間くらいでラジオはずっと付けてたら一晩程。
交代で起きてるから少しでも寝なさいと言われたけども余震が頻繁なのとラジオで母入院先の病院や自宅方面の情報が何かないかと集中してたりであまり眠れず、朝方ラジオを消されてから仕方なく休んだ。
そのときラジオで「仙台市若林区荒浜で200~300の遺体が打ち上げられて~」と何度も繰り返し言われていて戦慄したのを覚えてる。
少し仮眠してから前日から続けている上司のDOCOMO携帯を借りて家族の携帯にかけているが誰とも繋がらず。
携帯は繋がりづらく、固定電話は死んでいるようだった。
駄目元で母病院にかけてみたら何度目かで奇跡の開通。
自信の無事とお世話になってるお家の名前・電話番号を伝えると、母の方にも弟から「家がめちゃくちゃだ」というメールが入っており、地震でめちゃくちゃなのか津波でめちゃくちゃなのかどっちだろうね?ってこれで二人の生存は確認できた。
あとは津波の被害を受けたという空港のすぐそばで働いている父の安否だけが分からなかった。
空港よりもずいぶん離れた私の職場までも低いながらも津波が来てたので、手前はもっと高いだろうと思った。
父の安否は分からなかったがお世話になってる家に役立つため近くの開いてる店を探して回り、赤ちゃん用に軟水を探した。
硬水のペットボトルはお家の人が買ってきたがそれじゃミルク用に使えないらしく、改めて軟水を探しに。
開いてるコンビニを見つけたが既に棚はほぼ空で行列が。
ほとんど残っていない棚と床に落ちてても壊れていないようなものからの水と使えそうなものを探す。
とにかく食料を確保した。
並んでる途中でもう無いだろうと思っていた冷凍コーナーを覗いたらまだロックアイスがあったのですかさずget!
クーラーボックスに入れても役に立つし、硬水じゃないから溶かして赤ちゃんミルクに使えるしイイ物が買えた。
買い物を終えて戻ると母方の親戚が迎えにきていた。
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【震災】自己記録用1

昨日ようやく電気が復旧したのでまとめてみる。

非難直後。奥にある銀色の貯水槽のようなものがメキメキにされていたの図(拡大推奨)


■■地震当日■■

仙台空港近くの某大型店で仕事中被災。
最初は大した揺れじゃなかったが震度4くらいになってきたらお客さんが慌て始めたので、私も揺れの中掴まりながら歩いて回りお客さん一人一人をテーブルの下に待避させ、最後のお客さんに声をかけている最中体ごと持っていかれるような強烈な揺れ。
流石に危機を感じたので早口で声をかけながら自分もテーブルの下へ潜った。
以前行った『スモリの家体験用震度6』より強い揺れだった。
あれならまだ屈めば手を使わずとも二本足だけで踏ん張れたのに、本物はしがみついたテーブルごとガタガタと宙に浮いてぶっ飛ばされそうな横揺れ。
I型のテーブルだったから脚の部分に自分の体重もかかっているのに、それにしがみついても体ごと動いて、更に上から物が降ってきたり。
3分くらいの長い揺れの後半にキタ超強烈な揺れで停電。
暗くなったせいで一部お客さんから悲鳴もあがる。

揺れ始めから3分くらいしてひとまず落ち着いたのでお客さんを外へ誘導。
停電になったせいか放送はない。というか一切の情報がないまま、館内放送も死んだので避難誘導は全て直接声をかけておこなった。

こんな状況なのに律儀にもお金払って行こうとする人もいた。
「お金はいいから早く外にー!」とお客さんを外に出し従業員も合流。
私も携帯だけを持ってみんなと外に避難。
その時はすぐに戻れるだろうと思ってそれしか持って出なかったんだけど外で集まって「落ちた天井踏み越えてきた」だの従業員の話をきいてたらもしかしたら戻れないんじゃないかと考えた。正にビンゴ。
確かに各店舗ディスプレイはかなりガラス割れまくってたけどそこまで大事になるとは‥‥。

雪もチラつき余震揺れまくりな外に一時間ほど放置プレイ。
一緒に震えていた同僚のお兄さんが車で迎えにきて一人帰って行ったのだがその子は閖上だったから後から話を聞くと家族は無事で良かったけれど危機一髪だったり、家が土台を残して流されていたり大変なことになっていた・・・。
途中点呼あったり移動したり、それでも収集つかなそうで近くに住む上司がアパートに家族の安否を確認しに戻ったあと、奥さんと赤ちゃんを連れて車で迎えに来てくれて一旦上司アパートに避難し服を借りた。

このとき地震から1時間~2時間くらい。晴天なのに吹雪という不気味な異常気象。
そして真上ではしばらく飛行機が旋回していた。
その時は仙台空港滑走路が余震で危なくて降りれないのだろうかと思っていたけど、実際は津波にやられていたことが後から分かった。

一時避難していた空港付近のアパートにも津波の影響で道路が浸水し始め、ヘルメットを被った人から「ここは危ないから中学校に避難してください!」と言われその方向に逃げはじめた。
信号が全部止まっていてそれで停電していたことに始めて気付く。
中学校校庭に車をとめ、おそらく教職員の方々に体育館へと案内される。
まだここまで避難してくる人が少ないのか床に敷いてあるシートの中で一番厚めのシートを選択。
赤ちゃんもいたので優先的に毛布を貰えた。
でも時間が経ち暗くなってきて、停電で電気がないのでドアを全開にして車のヘッドライトで中を照らす。
そのおかげでえらい寒い。だって外は雪だもの。
体育館も段々いっぱいになってきた頃上司の奥さんがここよりは海と離れてる実家と連絡がとれ一緒に連れてってもらえることになった。
向こうからみたら全然他人の私に良くしてくれて感謝の極みでした(ノ△T)
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